2023年3月29日水曜日

俺とG&L #4

G&L ASAT Classicの改造記、第4回です!
 
最終回の今回は、回路周りです。
 










まずはプレートですが、よく見ていただくとピックアップの切り替えスイッチが斜めにスラントしているでしょう。

こんな小さな工夫で、ものすごく弾きやすくなるんです。おすすめの改造ですね!


いよいよ回路(サーキット)ですが、今回はフロントとリア、それぞれのシングルコイルを直列してハムバッカーのようなサウンドも出る4wayのサーキットを付けてみました。
 
エマーソンカスタムというブランドの配線キットで、レビューなども参考に250kΩの抵抗が入っているものをチョイスしました。
 
 
直列モードでは、確かに音圧が上がり歪みのノリが変わります。僕はテレキャスターしか持っていないので、もしかしたら使えるシーンがあるかもですが、ホンモノのハムバッカーとはちょっと違う気はします。
 
そしてそのピックアップを切り替える「ノブ」にもご注目ください。
 

 












通常のものより、かなり小ぶりで質感が高いモデルです。
HATAという工房のもので、ボリューム・トーンのノブも同じブランドでセットで販売されています。















このノブセット、通常はブラス製のところをアルミで作られていて、非常に軽いのです。
私にはこの軽さ、ちょうど良いのですが、好みが分かれるところかもしれません。

2023年3月28日火曜日

俺とG&L #3

G&Lギターの改造記第3回です。

今日は、ピックアップとブリッジ周りを。



G&LのASAT Classicにはオリジナル設計のMFDピックアップがついていて、ポールピースが各弦で調整できるようになっていました。

が、それゆえにテレキャスらしからぬナイーブなルックスになっていました。

今回の改造では、よりオリジナルに近い、FENDER社製 Pure Vintage '64 Telecaster Pickup Setをセレクトして、搭載しました。

 

お次はブリッジ。

テレキャスターの欠点として挙げられることが多い、3分割タイプのブリッジですが、逆に、それがテレキャスターらしいリジッドなサウンドを生み出していることもまた事実なわけで、今回各弦でオクターブ調整できる6分割タイプから、わざわざオリジナルに近い3分割タイプに戻しました。

信頼のGOTOH社製、BS-TC1 Chromeです。

なぜ GOTOHを選ぶかというと、もう一本のテレキャスターVanzandtのブリッジについていた芋ネジが長すぎて、弾くたびに右手の腹に引っかかって不快だったのです。

イライラに耐えかねて、自分でGOTOHのブリッジを買ってきて交換。スッキリ解決したため、今回もGOTOHさんを選びましたら。

そしたらなんと!G&Lはネックのジョイント位置がフェンダー系のテレキャスと少し違っていて、互換製品を使うと弦高調整との兼ね合いで、やっぱり芋ネジの頭が出てしまうのでした。

で、まあ芋ねじなんで探せばサイズはあるもので、Amazonでこれを見つけて、見事解決。

次回最終回は回路系です!

2023年3月16日木曜日

俺とG&L #2

G&Lギターの改造記の第2回です。第1回はこちらから→『俺とG&L #1』

まずはペグ。


GOTOH ( ゴトー ) 社製のマグナムロックのペグ。

型番はSGS510Z-MG-A07-L6-Chrome

ポストに弦をくるくる何度も巻かなくても良いという優れものである。 


裏面にはgotohを数字化した「510」の文字が。




弦交換は、作業としては楽になるが、弦のロックが甘いとチューニングが合わない。取説には書かれていないが、交換してくれた楽器屋の兄ちゃんが、コインで上のネジ締め込むと一発で合うよ、と教えてくれた。

お悩みの方、ぜひお試しを。

2023年3月15日水曜日

俺とG&L #1

G&Lギターとの出会いは、Mr.Childrenの1997年のシングル『Everything (it's you)』だった。

この曲では、レコーディングもライブでも田原くんと桜井和寿が掛け合いでギターソロを弾いている。

桜井はこのMVで印象的なシルバーラメのテレキャスターを弾いているが、よく見かけるフェンダーのそれではないことにはすぐに気がついた。

桜井和寿のギターソロは、スムースな田原のソロを受けて、不器用ながらも熱くてドラマティックに燃え上がっていく。そして何よりギター自体が、その熱さを受け止め得るクールさを持っていた。

まだインターネット黎明期のこと、ググればわかる時代はまだきていなかったが、雑誌などですぐにそれがG&Lのギターであることは調べがついた。

G&Lというブランドは、桑田佳祐氏がソロ活動で、やはりテレキャスタータイプの 『ジョージ・フラートン・モデル』を使用していたことで認知していた。

ジョージ・フラートンという人が、楽器を弾けないラジオ技術者のレオ・フェンダーと共にフェンダー・ギターの立ち上げを行った人だとは、その時に知った。

レオがミュージックマンをアーニーボールに売却した後に立ち上げたのがG&Lと知って、やはり一度は弾いてみたいものだと思っていた。

 そんなある日、営業をサボって渋谷をブラブラしていて、イケベ楽器で白いG&Lが吊るされているのを見つけた。

もう値段も忘れてしまったが、15〜20万くらいだったと思う。

衝動買いをするには高価なものだ。いったん落ち着こうと店を出たが、それが一目惚れであったことにはすぐに気がついた。

気がつくと店に戻り、スーツのまま試し弾きをさせてもらって、クレジットカードを差し出していた。 


長いこと、それをメインギターにして弾いていたが、2006年に会社を早期退職した時、今度は第4期ARBの内藤幸也が弾いていたフェンダーのテレキャスターが気になって、よく似た仕様のVan Vandtを買った。

このVan Vandtのテレキャスは、ネックが薄くて指板のRがほとんどないタイプで、これが非常に弾きやすく、しばらくこればかりを使っていた。

そんなわけで、しばらくケースの中で眠っていたG&Lがすっかりゴキゲンナナメになっているのに気づくのが2021年。

3年半ほどお世話になった職場を辞めて少し時間ができたので、本格的にメンテナンスに乗り出した次第だ。

結局ほとんどのパーツを入れ替えることになった。

その記録をここに残しておこうと思う。

これが改造を終えた姿だ。


次回以降、入れ替えたパーツを紹介していこうと思う。

2023年3月14日火曜日

zoomよ、お前もか

すごーく久しぶりにzoomでミーティング。

自分がホストなので、動作チェックしておくか、と思ったらアップデートに失敗しました、と言われて先に進まない。

いろいろ調べて、古いバージョンを先に削除しておく必要があるとわかったんだけどさー。

そんなバカな。

いや、あるよ。そういうこと。でもさー、zoomってそういうダッセー企業じゃないと思ってたからショックだわー。


 

まあ、やってみたらできた。

うん、新しいアイコン、かっこいいじゃん。

いやもしかしたらzoomだけのせいではないのかもしれん。OSとの関係もあるもんね。

使ってるのはMacだから、こっちもだいぶ怪しい。

MacOSもiOSも、勝手にインターフェイス変えて、情弱ユーザー戸惑わせるの得意だけどさー、創業者のジョブスさんは、ユーザーは信用できないからマウスのボタンは絶対一個じゃなきゃダメだっていう人だったんだよ。

だからこそ、アップルはComputer For Rest Of Usだったんだし、シンプルでビューティフルだったんだよ。

まあ、素人のオイラには、難しいことはわからんけどさ、時代を変えてきた皆さんには、いつまでもカッコいい企業でいて欲しいよな。

2023年3月13日月曜日

追悼、デヴィッド・リンドレー

2023.3.3、鬼才デヴィッド・リンドレー逝く。

それにしても今年は、世代のヒーローたちがどんどん逝ってしまうね。ジェフ・ベック、高橋幸宏、デヴィッド・クロスビー、鮎川誠、バート・バカラック・・

ジャクソン・ブラウンの名盤の影に必ずデヴィッド・リンドレーがいたよね。弾けるのがギターだけではなかったゆえに、ギターヒーローとは呼ばれなかったけど、明らかに弦楽器マスターの方が希少だと思う。

その稀有な才能を堪能できるライブアルバムを残してくれたことが、せめてもの僥倖かな。

ジャクソン・ブラウンの2006年スペインライブを収録したもの。リンドレー自身も歌ってますね。
 

2023年3月12日日曜日

異世界おじさん、ついに最終回

 最終回の放送が延期されるという、視聴者にとってはなんともツラい仕打ちをしてくれた『異世界おじさん』

待った甲斐のある素晴らしい最終回でしたねー。

 

17年間異世界にいて、現実世界に帰ってくるという設定の妙。それだけのことなら他にも同じ設定の作品はなくはないですが、帰ってきた現代の日本こそが「異世界」に感じられるというところがこの物語の凄さではないでしょうか。

今年58歳になる自分にとっても、まるで価値観の異なる父親世代と、これまたまったく違う価値観を持った子供世代との間にいて、「世界」とは何かと考えることがよくあります。

世界はたぶん、自分だけもので、情報のようなものにあまり振り回されない方がいいんだろうなー、と今は思います。

最後の出張

一年間やってきた高校訪問ツアーですが、いよいよ最後の出張となりました。

帯広です。

帯広生まれなんだけど、0歳の時に一年間いただけなんで、まったく思い出とかはないのです。

千歳あたりから高速に乗って、車で行くことが多いですが、アップダウンの大きな道東道では、時々絶景ポイントがあります。


おお!と思って写真を撮って、後で見ると「あれ、こんなだったかなあ」と思うことが多いです。

あと、今度こそ「インデアンカレー」に行こうと思うのですが、なんとなくああいう地元のソウルフードのお店って、お作法がありそうで腰が引けちゃうんですよね。

つい勝手知ったるチェーン店に入ってしまいます。

臆病者です。

2023年3月6日月曜日

オリオンビールみーつけた!

オリオンビールが好きだ。

いつもはサッポロの苦めのビールを愛飲しているが、どこか異国情緒のあるオリオンの佇まいを見つけると、つい買ってしまう。

昨日もスーパーで見かけて迷わず買った。


 エール系で、非常に複雑な味わいを持つビール。美味でした。

2023年3月5日日曜日

確定申告のDX

昨年度の確定申告を終えた。

『弥生』アプリケーションを導入してからの確定申告は毎年この上なくスムーズだが、e-Taxに移行してからは苦難の道のりだった。

特に昨年は、e-Taxの利用申し込みとマイナンバーカードの折り合いが悪く、何度も何度も申請をやり直しさせられた。

ネットリテラシーが低いせいといえばその通りで一言もないが、今年のシステムでは実にスムーズ。『弥生』でほとんどの操作ができたことが大きいと思う。

スマートフォンでのマイナンバーカードの読み取りと弥生の専用アプリの組み合わせで、あっという間にデータの送信が完了。あっけないくらいだった。


 

昨年のことを思い起こすと、弥生の専用アプリが果たしていた役割をマイナポータルでやろうとして、ぐるぐると堂々巡りになった記憶がある。

そういえば、現在メインバンクで使っている北洋銀行が、最近、ATMの振り込みシークエンスを変更し、これが大変煩雑で、ATMの列が伸び、月末なんかだと1時間近く店内にすら入れない事態となっている。 


なぜシステム開発は「すべりがち」なのか。

きっと客の言うことを聞きすぎるんだろう。

素人さんにプロのサービスを提供しているからお金がもらえるのであって、素人さんの言う通りやるなら誰にだってできる。

ジョブスがマウスにボタンを一つしか設けなかったのは、ユーザーを信用していなかったからだ。そんな制約条件の中でMacOSのインターフェイスは洗練された。

ゲイツは、Windowsの開発に際して、「DOS/Vで動くMac」が欲しいんだ!と怒鳴ったという逸話があるが、当たり前の感性で新しい洗練は作れない。 

老舗の『弥生』さんの見事なDXには本当に感心した。願わくば、このような洗練がこの国に満ちますように。

2023年3月4日土曜日

山下達郎札幌公演に行ってきた。

2023年2月7日、札幌文化芸術劇場hitaruにて開催された山下達郎札幌公演に行ってきた。本来は昨年実施されるはずだったが、ご本人のコロナ感染で延期になっていたものだ。 

山下達郎は公式に映像作品を発売していない。コンサートに行きたくても、なかなか抽選には当たらなかった。

2012年に映画館で、シアターライブが公開された時には喜び勇んで観に行った。演奏巧者の猛者揃いのライブは素晴らしく、中でも達郎本人のギターに圧倒された。ラストシーンに選ばれた北海道のフェス。圧巻の『さよなら夏の日』にスクリーンの中の観客たちが涙を流していて、映画館の僕らももらい泣きした。

そんな公演を生で経験できるのだからと、とても楽しみにしていた。 

幕が開き、一曲目『スパークル』のあのイントロで、すでに僕の興奮はマックスだった。

しかし、演奏が終わった後、ラジオ『サンデーソングブック』と同じトーンで、達郎はこのように話し始めた。


「よかった。最初から総立ちになったりしたら帰るところだった。このコンサートには作法があるから初めての人は、お馴染みさんのやる通りやってください」と。

郷にいれば郷に従え。特に異論はない。

しかし、僕が長い間山下達郎の音楽から受け続けていた感銘と、完成されたエンタテインメントショーとしてのライブの間には、大きな溝があった。

最後まで、僕はそのライブの流れに乗り切れず、総立ちの会場の中で一人座って彼の歌を聴いていた。

佐野元春のコンサートで彼が叫ぶ「自由がなければ意味がないのさ、そうだろう」という言葉が僕の頭の中でずっと鳴っていた。

ぼくのポルシェ

小学4年生のとき、おばあちゃんにおねだりしてタミヤ製のプラモデル『PORSCHE 934RSR』を買ってもらった。5000円くらいしたと思う。

当時の自分の技量ではうまく作れず、いろんなところを誤魔化してなんとか形にした。

それが気にかかって、高校生くらいまで手を入れ続けたが、そのことで却って傷は広がり、 長い時間をかけてそのプラモデルは僕に深くてリアルな教訓を与えた。

大学に行くため実家を出る時、諦めがついてそのプラモデルを捨てたが、その教訓は僕の中に残り続けた。ビジネスマン時代、周囲が焦れるほど完全な準備ができているかを見極め、慎重すぎるほど慎重にことを運び、時にはそれでチャンスを逃すこともあった。それでも対症療法を重ねて傷が残り続けるよりはマシだと思い続けた。

そして僕は『PORSCHE 934RSR』自体のことも忘れていなかった。

会社を辞めてセミリタイア時代に入る時、僕が真っ先に手に入れたのは、あの『PORSCHE 934RSR』だった。時を経てその商品は12,000円ほどになっていた。

長い時間をかけて、頭の中でシミュレーションし続けたプラモ製作。生来の不器用さゆえ、今回も完璧とはいかなかったが、2回目の製作は、その後の修正を要求しなかった。

 

完成させてから今年で16年になるが、今でも机の真横に鎮座している。時々磨いてあげるが、色褪せない魅力がある。

フェルディナンド・ポルシェ博士が、ヒトラーのために作った国民車をルーツに持ち、現在のラインナップにも面影を残す永遠のデザイン。

おそらく実車を入手する機会は一生あるまいが、僕の心をデザインした大切な一部として、一生残り続けるだろう。