甲斐よしひろのソロ活動35周年記念盤『FLASH BACK』が届いた。
一曲目の『電光石火BABY』から、あの唯一無二の声にヤられる。
この声と最初に出会ったのは、『HERO(ヒーローになる時、それは今)』だったが、決定的だったのは、NHK-FMで放送された甲斐バンド・ライブだった。
素っ裸のエイトビートに、Gmの歪んだパワーコードが重なって、甲斐さんが「あなたに抱かれるのは・・」と振り絞るように歌し出して、そのライブは始まった。『きんぽうげ』というその曲に完全に心を持っていかれた。
その日から、僕の心は常に甲斐よしひろと共にある。
そのライブを録音したテープを繰り返し繰り返し何度も聴いた。
まだレコードになっていなかった新曲『安奈』が気に入って、自分でも歌ってみたくてアコースティック・ギターを買ってもらった。
甲斐バンドの曲を何曲も弾いて歌っているうち、作曲の方法が何となくわかってきて、自分の曲を作るようになった。
甲斐さんがDJをやっていた、NHK-FM『サウンド・ストリート』は毎週欠かさず聴いていた。この番組でハウンドドッグの『嵐の金曜日』や、もんた&ブラザーズ『ダンシング・オールナイト』を知り、何より佐野元春を教えてもらった。
アルバムが出るたび、熱狂した。『黄金/GOLD』というレコードがあまりに傑作すぎて、テストの前日だというのに勉強もせず、こっそりヘッドフォンで聴いていたのを母親に見つかり、レコードを割られたこともある。
1986年に甲斐バンドは解散してしまったが、翌年ソロアルバム『ストレート・ライフ』が出て、その後期甲斐バンドらしさを継承したサウンドが本当に嬉しかったんだ。
ソロキャリアのスタートである、『ストレート・ライフ』のツアーには札幌で参戦した。
最初に生甲斐バンドを観たのは、アルバム『MY GENERATION』の頃だから79年か80年、釧路の市民会館だったと思う。時々手を振り上げ、腰を捻りながらステージ上を歩く甲斐よしひろは、まだ中学生だった僕には鮮烈そのものだった。
1987年の『ストレート・ライフ』ツアーでもそのアクションは健在で、ただただカッコよくて熱狂した。その頃、僕はもう大学生だったから、それがミック・ジャガーにそっくりなステージアクトであることを知っていたが、そんなことはどうでもよかった。
その頃には、甲斐バンドの名曲たちにそっくりな先行洋楽曲があることにも気づいてはいたが、それでも甲斐さんの声で歌われる楽曲の魅力はいささかも色褪せなかった。
だから僕はきっと、甲斐バンドの「ファン」なんだと思う。なんの前提も言い訳も必要なく、ファンだといえる対象があるのだから、僕はとても幸せな男なんだと思う。
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