2022年2月20日日曜日

『スノウ・クラッシュ』:(メタヴァースの元ネタというより)メタ文化人類史学サイバーパンク風味、かな

ベゾスやイーロン・マスクなど、テクノロジー系ベンチャーの創始者たちが牽引して、新しい世界への道筋が踏み固められつつあるが、そのヴィジョンの源泉としてスティーブンスンの名前をよく見かけるようになった。

ザッカーバーグが、Facebookの社名をMetaに変更してからこっち、メタヴァースという言葉の元ネタとしてあちらこちらで取り沙汰される『スノウ・クラッシュ』が復刊されたので読んでみたら、その理由が少しだけわかったような気がした。












国家というシステムも、資本主義というイデオロギーも、とっくに限界がきている。

でもその先が見えない中で、なんとなくコンピュータ・テクノロジーの行く末には光があるんじゃないか、というより、それ以外に頼りになりそうなものが見当たらないというところだろう。

確かに、なんらかの理由でお蔵入りにされた古い思考やイズムを掘り起こすよりはいいような気がする。


しかしチューリングマシンを嚆矢とするコンピュータそのものが、人間の思考を模倣したものであること(AIに対する本質的な不信感はそのあたりに深因があるのだろう)を考えれば、それを確かな道標とするために、そもそもこの遠大な人智の来し方の根源的なところに踏み込むほかない。

本書の主題はまさにそこにあるのだと思う。


古代シュメール史を遡行し、バベルの塔の神話を横目に見ながら、まるで現代のパンデミックを見透かしたようなウィルスと人類への言及。

そのすべてが、示唆に富んでいる。


古い権威主義をぶち壊すことが、本書が指し示す人類の未来に必須な前提条件であったのだろう。

それゆえに本書が纏ったサイバーパンク風味が、その種の隠語を頻発させ、ついつい読み飛ばし気味になるところがあって、せっかくの深い考察が勿体無い気もする。

せっかくこんなに魅力的に造形したキャラクターたちだからもう少し純粋に楽しめる形であってもいいかな、とは思う。 

映像化に際して多くの伝説を残した『砂の惑星』ですら、あんなに魅力的な映画になる現代である。 


動くヒロとY.Tが観たい! 

俳優さんは誰がいいだろう? 

Ngは?

レイヴンは?

エンゾは?

想像するだけで楽しい。

2022年2月6日日曜日

エラリー・クイーンの『冒険』と『新冒険』について

エラリー・クイーンの書評を書くのは難しい。

今回二作の短編集を読んで頭を抱えてしまった。











何かのインタビューで島田荘司先生が、一番好きなミステリは?と訊かれて、気恥ずかしいが『Yの悲劇』が、と答えておられたのを読んで、『Xの悲劇』から始まる「ドルリー・レーン四部作」を読んだのが、エラリー・クイーンとの出会いだった。だからこの4冊は、純粋に本格ミステリとして最高に面白かったと感じたが、島田バイアスがかかっていたかも知れない。

そう思ってしまったのは、『ローマ帽子の謎』から始まる「国名シリーズ」を続けて何作か読んでみたが、どれもピンと来なかったからだ。しかしそれも、全作品を読んだわけではなく、これから面白い作品に出会うのかもしれない。

映画『配達されない三通の手紙』の竹下景子さんに恋をして、勢いで読んだ原作の『災厄の町』。「国名シリーズ」とはまったく違うエラリーの佇まいに驚いて、「ライツヴィルシリーズ」を読破した。シリーズ全体に漂う、あの独特の雰囲気。深い人間描写。巻を進めるほどにミステリとしての話法が進化していく様子にとても感心した。


そして今回の短編集である。

二作目の『新冒険』には、あらゆるガイドブックでミステリ短編の代表的傑作と評される『神の灯』が収録されているが、僕にはこれがまったく駄目だった。

似たようなトリックを多くのミステリ作家が料理しているからだろうか。僕自身は島田センセ、そりゃ流石に大技すぎでは・・と思わせても、物語そのものが魅力的ならそれでいいと思うタイプだが、『神の灯』は「動機とトリックのバランス」が取れていないように思えてならなかった。

『冒険』の方は、物語そのものの魅力は充分で、楽しめるには楽しめたのだが、やはりエラリーの謎解きはあの怒涛の「傍点」がないと、あの「ぐうの音も出ない」感が味わえず、どうも気分が出ないのである。

ドルリー・レーン四部作ではそのような物足りなさを感じないところを見ると、やはりこれは探偵エラリーの人物造形に因るものだろう。

『新冒険』に至っては、多くの評論家さんも指摘しているように、物語の魅力そのものにも少し物足りないところがある。

そして『新冒険』には「異色なスポーツ連作」と題されたパートが収録されている。ポーラ・パリスなる女性記者とのアベック探偵もので、ここではエラリー・クイーンのキャラが少し軟派な方向に崩壊している。だからそれはそれで面白いのだが、ミステリとしてどうかと言われるとどうなんだろうというのが正直なところだ。

2022年2月1日火曜日

五輪真弓とキャロル・キング:五輪真弓『風のない世界』

 最近は、もっぱらジャケ買いで日本の古いレコードを買ってるわけだけど、こんなのを見つけて買ってみた。

五輪真弓『風のない世界』














僕が五輪真弓さんの音楽を知ったのは、もちろんあの『恋人よ』からで、当時はすでに落ち着いた実力派SSW的な雰囲気だったから、この『風のない世界』のジャケットに映る若き日の彼女からダダ漏れに溢れてくる気迫のようなものに驚き、抗い難く手に取った次第だ。



あらためて調べてみると、デビューからソニーレコードは五輪さんに個人レーベル「UMI」を持たせて、海外レコーディングを敢行する力の入れようだったが、確かにこの73年発表のセカンドアルバムに吹き込まれた楽曲からもベテランのような風格が漂っている。

帯にあるようにキャロル・キングがA3『昨日までの想い出』とB3『家』にピアノで演奏に参加している。

ソニーが戦略的に『和製キャロル・キング』のセンを狙って、72年の五輪真弓のファーストアルバム『少女』からキャロル・キングに参加してもらっているわけだが、71年発表の『つづれおり』が大ヒットしている中でのサポートであることを考えると、これは非常に貴重なテイクと言える。


五輪真弓さんのこのセカンドアルバムでは全曲で、当時のキャロルのご主人チャールズ・ラーキーがベースを弾いている。

『つづれおり』では、キャロルのピアノが強くフィーチャーされているからだろうか。五輪真弓さんのこのアルバムのサウンドからは、キャロル・キングの空気感よりも、チャールズ・ラーキーが参加したセッションの空気感を感じるのだ。

キャロル・キング、チャールズ・ラーキー夫妻は、当時オード・レコードの所属で、デヴィッド・T・ウォーカーのレコーディングの常連であった。

デヴィッド・Tがオード・レコードに残した黄金期の大傑作『David T,Walker(通称Real T)』『PRESS ON』『ON LOVE』が大好きすぎる僕は、つい五輪真弓さんのこのアルバムにも彼らの演奏の空気感を探してしまっている、ということなのかもしれないが。