エラリー・クイーンの書評を書くのは難しい。
今回二作の短編集を読んで頭を抱えてしまった。
何かのインタビューで島田荘司先生が、一番好きなミステリは?と訊かれて、気恥ずかしいが『Yの悲劇』が、と答えておられたのを読んで、『Xの悲劇』から始まる「ドルリー・レーン四部作」を読んだのが、エラリー・クイーンとの出会いだった。だからこの4冊は、純粋に本格ミステリとして最高に面白かったと感じたが、島田バイアスがかかっていたかも知れない。
そう思ってしまったのは、『ローマ帽子の謎』から始まる「国名シリーズ」を続けて何作か読んでみたが、どれもピンと来なかったからだ。しかしそれも、全作品を読んだわけではなく、これから面白い作品に出会うのかもしれない。
映画『配達されない三通の手紙』の竹下景子さんに恋をして、勢いで読んだ原作の『災厄の町』。「国名シリーズ」とはまったく違うエラリーの佇まいに驚いて、「ライツヴィルシリーズ」を読破した。シリーズ全体に漂う、あの独特の雰囲気。深い人間描写。巻を進めるほどにミステリとしての話法が進化していく様子にとても感心した。
そして今回の短編集である。
二作目の『新冒険』には、あらゆるガイドブックでミステリ短編の代表的傑作と評される『神の灯』が収録されているが、僕にはこれがまったく駄目だった。
似たようなトリックを多くのミステリ作家が料理しているからだろうか。僕自身は島田センセ、そりゃ流石に大技すぎでは・・と思わせても、物語そのものが魅力的ならそれでいいと思うタイプだが、『神の灯』は「動機とトリックのバランス」が取れていないように思えてならなかった。
『冒険』の方は、物語そのものの魅力は充分で、楽しめるには楽しめたのだが、やはりエラリーの謎解きはあの怒涛の「傍点」がないと、あの「ぐうの音も出ない」感が味わえず、どうも気分が出ないのである。
ドルリー・レーン四部作ではそのような物足りなさを感じないところを見ると、やはりこれは探偵エラリーの人物造形に因るものだろう。
『新冒険』に至っては、多くの評論家さんも指摘しているように、物語の魅力そのものにも少し物足りないところがある。
そして『新冒険』には「異色なスポーツ連作」と題されたパートが収録されている。ポーラ・パリスなる女性記者とのアベック探偵もので、ここではエラリー・クイーンのキャラが少し軟派な方向に崩壊している。だからそれはそれで面白いのだが、ミステリとしてどうかと言われるとどうなんだろうというのが正直なところだ。
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