2022年1月30日日曜日

高純度のジャケ買い:高田真樹子『MAKIKO first』

「思い出のレコード」的なものはだいたい入手できた今となっては、中古レコード漁りは、極めて純度の高い「ジャケ買い」になっている。

今回レーダーに引っ掛かったのは、これ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高田真樹子さんの『MAKIKO first』

実に雰囲気のあるジャケットだが、初見でした。

 

1973年のポプコンで認められ、翌74年デビュー。

このデビューアルバムには、ポプコン出場曲の『糸』も収録されているが、この曲のみ星勝さんの編曲で、その他は萩田光雄さんがアレンジしている。

『糸』は優秀曲賞で、その年のグランプリは小坂明子さんの『あなた』だった。

デビューシングルには、その『糸』ではなく、『屋根』という別の曲が選ばれたようだ。両曲ともこのアルバムに収録されている。

ドラムがポンタさんで、ギターが高中正義という、なかなか豪華なレコーディングメンバーが用意されているところを見れば、相当に期待されていたようで、朗らかなポップ歌謡から情念的なシャウトまで幅広い表現を持った歌い手とみました。

このアルバムでは全曲で作詞作曲を担当しており、楽曲のレベルも74年のポプコンでデビューする八神純子さんが、このアルバムの一曲目に収録されている『私の歌の心の世界』を後にカバーするほどのもの。

ところが、この人、Kittyに移籍して出した77年のセカンドアルバム『不機嫌な天使』では一転、林哲司さんをソングライターに起用した『しおどき』や小椋佳さんの『送り風』をカバーして、後にシティポップのメロウ系再評価の中で重要な役割を果たすんだからわからんもんです。





2022年1月18日火曜日

映画『クライ・マッチョ』:クリント・イーストウッド、贖罪の旅の終着地

 こればかりは映画館で観なければ!と出かけてきました。

クリント・イーストウッド91歳の監督・主演作『クライ・マッチョ』








冒頭から素晴らしい演奏の、哀切なカントリーが流れてきて、これこそが映画館で映画を観る最大の動機であることを思い出させてくれる。

監督としてのイーストウッドに心底参ったのが、『許されざる者』だった。それまで数々の西部劇やダーティー・ハリー・シリーズで白人主義のアメリカを演じてきたイーストウッドが、その贖罪のために作った映画のように思えた。


『グラントリノ』では、ベトナム戦争で現地でのゲリラに使った民族を移住させた街を舞台に、朝鮮戦争を戦った元兵士の葛藤を描いた。


強いアメリカの矛盾は『アメリカン・スナイパー』でも描かれた。


そしてイーストウッドの映画は、そのようなアメリカの過ちをさまざまな角度から描きながらも、同時に古き良きアメリカの生活を描き続けた。

イーストウッドがアメリカを愛している気持ちは彼の政治活動にはストレートな形で表れていて、カーメル市の市長時代には、近代的なリゾート地を開発しようと広大な市有地を購入した開発会社から、古い景観を維持するため、私財を投げ打って買い戻したりしている。

本作『クライ・マッチョ』で、イーストウッドは、「人は、自分を強いと思わせたがるものだが、成長して知ることは、自分が無知であるということだ」と、表現を変えながら繰り返し語る。

原作とはまったく異なるあのラストシーンを描くことで、イーストウッドはアメリカと一体である自分自身を赦したんだと思う。

心がスッと、軽くなる。

そんな映画だった。

2022年1月16日日曜日

『黄金列車』佐藤亜紀:「悪の陳腐さ」に深く迫る2年がかりの価値ある読書体験


 

佐藤亜紀さんの作品とは、作家でミステリ評論家の友人からお薦めされて出会った。

その時友人が教えてくれた「新潮社との揉め事」が、この作家さんに強い興味を抱くきっかけだったのは否定しない。下世話な話だが、自分自身の会社勤めの経験からも、組織に属する人間の判断がこのような事案を引き起こしてしまうのは、如何にもありそうなことだと思わせるものだったから。

まあ、そんなことが無くても佐藤亜紀さんの作品は抜群に面白い。特に、北海道新聞の書評欄で豊崎由美さんが絶賛した「スウィングしなけりゃ意味がない」の読後感の豊かさは、大袈裟でなく、ああ文学とはなんと素晴らしいものかと思わせるものだった。

なんの保留もなくお薦めできる本など滅多にないものだが、これは自信を持って万人にお薦めできる。最近、文庫化もされたのでぜひお読みいただきたいと思う。


「スウィング」の2年後、同じ書評欄で激推しされた「黄金列車」も、なんの躊躇いもなく購入、読み始めたが・・

今度は、読了までに足掛け2年かかってしまった・・ 

状況を写実的に切り取る簡潔な現在形の語り口が、物語への「共感」による没入を妨げ、度々読書は中断した。

しかし、それでも読み進めるうち、この冷徹な印象がまさにこの作品に仕掛けられた筆者の企みなのだろうと思い始めた。

「黄金列車」でも扱われている、あのドイツの戦争においてハンナ・アーレントが喝破した「悪の陳腐さ」が、本作では権力の暴走を抑える武器として機能していて、その一面的に語られるべきでない構造を安易なカタルシスに導かないための筆者の良識が、この作品をとっつきにくいものにしている、ということなのだろう。

その意味で、深緑野分氏が帯に寄せた「ここに人間がいる」という推薦文が、2年目の読後に沁みた。


2022年1月15日土曜日

位相っていったい何なん・・15年目のSACDプレーヤーをめぐって

 真空管パワーアンプMcIntosh MC275が故障修理から戻ってきたのが嬉しくて、いろんなCDを毎日毎日取っ替え引っ替えかけていた。

もちろんマイルズ・デイヴィスのこの2枚もかけてみた。








今更名盤というのも恥ずかしいくらいのキング・オブ・名盤だ。今だと最高オブ最高っていうのかな。

これは、SONYがSACDという高音質フォーマットの新CDを発売した時、最初期にリリースされた「シングルレイヤー」盤。CD層が無いため、普通のCDプレーヤーでは再生できないというシロモノだ。

ところが2006年12月に購入したうちのSACDプレーヤーDENON DCD1650AEに久しぶりに入れてみると、なんと認識してくれない。イジェクトボタンも効かなくて焦ったが、電源ボタンを一度切って、再度オンしたところでイジェクトすると取り出せることがわかった。

今のSACDは、大体CD層とSACD層の両方を持つハイブリッドSACDになっている。ものすごく音が違う!というわけではないと思うが、その微細な音質にこだわっている盤で聴く安心感のようなものを求めて、名盤と言われるものはSACDで買うことが多い。









これはブルーノートのコレクションで、これも聴けなかったら悲しいな、と思って、恐る恐るプレーヤーに入れてみると、これらは認識してくれた!

のは、よかったんだが、なんか妙に管楽器の音だけが引っ込んで聴こえる。ピアノの音ははっきりしてるんだが、サキソフォンとかがモゴモゴした音に聞こえるんだ。今までこんな現象は起きたことがないが、なんとなく「位相」っていうのに関係がありそうだと思った。

あくまでも直感的にね。だって位相って専門的すぎてよくわからないですよ。

とはいえこういう時は、チェックCDを使うというのは先輩オーディオファイルに聞いて知っていたし、一枚もらったのがある。









この「左右チャンネル/位相チェック」というのをかけてみる(これしか使ったことない)と、

「右のスピーカーです」という再生音の後に聞こえるはずの「左のスピーカーです」がまったく聞こえない。

ところが続いて再生される、「スピーカーの内側、真ん中です」の音声は左側のスピーカーから発音されるのである!さらに、「スピーカの外、右側です」でも、「スピーカーの外、左側です」でも、今度は微弱な音で左側スピーカーで再生されるんだから、もうわけがわからない。

左のスピーカーの音が出ない、だったら対処の方法も想像つくんだけどね。

ネットでも検索しまくるが、位相に関する専門用語は私にはまったく手に負えず、しょうがないからマニュアルでも読んでみるか、と思ったが、








英語なんよね・・・

それでも、と読み進めていくうち、あ、と思ったのが上の写真で、モノラルモードにするスイッチがある!

なんかの拍子にモノラルになってのでは、と見てみると、ビンゴ!でした。

ステレオモードに切り替えて、元通りのいい音になりました。

結局、ブルーノートの多くの録音は、ライブでの演奏位置に忠実な定位になっていて、だいたい管楽器は極端に左側に定位されていることが多いってのが、今回の現象の原因なんだけど、それにしても、だからなんで左端に定位されてるものだけがモノラルモードでオミットされるのかは理解できないままです。

本当に位相ってよくわからない・・


最初の話題だった、SACDシングルレイヤー認識しない問題については、キャロル・キングやらジェフ・ベックなんかも持ってるんですが、そいつらは認識してくれて、盤の方の問題なのかな、と思ってはおります。

15年目のCDプレーヤーどうするか、も考えなくはないですが、大昔のマランツCD34、今でも愛用していらっしゃるパイセンたちもたくさんいらっしゃることですし、もう少し頑張ってみようかな。