と言ってもバーブラ・ストライサンドのアレではなく、2017年公開の岡田准一主演作である。
なにしろ観るDVDのほとんどにこの映画の予告編が入っていて、その度岡田准一が小栗旬に
お前は、一体何を守ろうとしているんだと問い詰めるので、本当に一体を何を守ろうとしているのか、それが気になって気になってDVDを借りてきた次第だ。
その意味でこの予告編は大成功している。
しかし実際に観てみると、一番心が動くのは、その謎が解けた時ではなかった。
篤をめぐる二人の女、安藤サクラ演じる「涼子」と長澤まさみ演じる「美那子」のそれぞれに流される涙が、この映画を読み解く鍵だ。
篤の妻美那子は、自分に心を開かない夫との関係が子どもを産むことで変わることを期待していたが、流産しその機会を奪われる。関係の修復を諦めた美那子は別居してしまうが、義母の自殺未遂をきっかけに、「自分も寂しかった」と涙を流すことができ、少しだけお互いの心を溶かすことに成功する。
<人>の愛を表現した、長澤まさみのこの落涙のシーン。
それは奇跡のように美しかった。
そしてそれに対置するかのように置かれた安藤サクラの<聖>の涙がある。
劇中、
今日も無事終わりました。ありがとうございましたというセリフとともにこの涙は流される。
涼子は、自分の経営する「ゆきわりそう」という喫茶店に、ワケありの子どもたちを預かり共同生活をしている。
まあ聖母なのである。
そして自分自身も過去の荒んだ生活から逃げている。
今日も一日逃げおおせました、が<無事>というセリフの意味だろう。
親に見捨てられた子どもたちの無事もその中に含まれていたと思う。
そしてある日突然その<無事>は破られ、子どもたちは聖母を災厄から守ろうと罪を犯すが、結局聖母自身がそれを引き受けることになる。
不幸は重なり、記憶は失われ、彼女は<無垢>の存在となり、本当の意味での聖女となる。
そしてラストシーン。
聖女となった彼女から再び発せられる
今日も無事終わりました。ありがとうございましたのセリフ。
なんという存在感。
圧巻である。
安藤サクラは見事<聖女>を演じてみせた。
涼子(=安藤サクラ)の胸の中で安堵の表情を見せる岡田准一。
その時彼の中にあった忌まわしい記憶は「追憶」になったのだろう。