『少女』は、湊かなえ原作であるから、やはり人間の内面に巣食う弱さと、その弱さゆえに発動する「狂気」が描かれている。
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舞台は、登下校時に「ごきげんよう」と挨拶をする女子高。
こういう学校って、ドラマや映画やアニメなんかではよく見るけど本当にあるんだろうか。
上野樹里主演の『笑うミカエル』もコレ系でしたよね。
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いずれにせよ、多くの人にとって縁遠い場を設定することで、狂気の発動を効果的に演出しているのだろう。
主人公の由紀は、家でも、授業中でも、原稿用紙に向かい無心に鉛筆を走らせている。
親友敦子のために小説を書いているのだ。
敦子は、剣道で将来を嘱望された選手だったが、中学最後の試合で負け、それを契機にいじめに遭っていた。
由紀の手の甲には、深い傷が刻まれているが、これは彼女の祖母によって付けられたものだ。
ちょっとオカシクなっている祖母は、たぶん彼女たちの通う「ごきげんよう」学校の先生だったんだろう。
長いモノサシを振り回しながら誰にともなく、常に大声で説教をしている。
「フジオカー、またお前かあー、因果応報、地獄に落ちろ!」
このような闇を抱えながら支えあう二人の間に、転校生紫織が入ってくる。
紫織は二人に「親友の死体を見た」と打ち明ける。
死体を見た、という事実が大人へのステップになるというのはもちろんスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』に由来するアイディアだろう。
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この告白は二人の心理に影響を与え、由紀は小児科病棟へ、敦子は老人ホームへとボランティアに行くことになる。
「死」に近い場所に。
物語が進むそのたびに、由紀の祖母が繰り返すこの「因果応報」が物語の中で実際に進行していく。
因果応報とは辞書によれば、(コピペ御免)
本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。 仏教の考え方で、原因に応じた結果が報いるということ。
とある。
この物語の発端の「悪い行い」が「ウソ痴漢」である。
こういうのが本当に横行しているのかは知らないが、気の弱そうなサラリーマンを標的に女子高生が二人組で「今、この娘のこと痴漢しましたよね。わたし見てました。騒がれたくなかったら5万円でいいですよ」とやって小遣い稼ぎをするというものだ。
証明できない主観を根拠に成立するという、痴漢という犯罪の特殊性を逆手に取った、男であるワタクシの身には考えるだに恐ろしい、実に狡猾で卑劣な詐欺ではないか。
原作者も映画化を企画した人も、こんなアイディアを広く世に広めてどうするのか。
これではおちおち電車にも乗っていられない。
鉄道各社におかれましては、ぜひとも男性専用車両の設置を真剣にご検討いただきたい。
・・・と、話が逸れた。
このウソ痴漢詐欺に遭って、健気にも戦おうとした男の敗北がこの因果応報ドミノの起点だ。
男は後にこう言っている。
「あの時、あのホームで、あの子たちに金を渡せばよかった ほんと人生は脆いよ ほんの一瞬の判断ミスですべてを失う」
この人生を狂わせるほど大きなドミノ倒しの起点は、確かにそのような小さな判断なのだ。
また、子ども時代の無分別も、この物語をドライヴする「悪い行い」として語られる。
家族を苦しめる家族の一員への憎しみが、子どもらしい純粋さゆえに凶行へと発展してしまう。
こちらは言葉通りの小さな判断とは言えないが、似たような要素を持っている。
そして因果応報。
ちょっとしたことから始まっても、それを人の中にある狂気が増幅して、重大な結果を招く。
結果が重大なら報いも大きい。
映画でもこのドミノ倒しが多くの人の人生を狂わせたし、人生は確かにそういうふうに出来ているような気がする。
そして物語では、狂気は信頼によって救われる。
しかし簡単に、粗略に言葉を操った者は狂気から逃れられない。
これもまた真理だと思う。
しかし、どういうことだろう。
この映画では、脚本がその粗略の愚を犯しているように思えてならない。
湊かなえ小説の巧みなミスリードが、ここではただの棒読みに読まれ、ちっとも機能していない。
映画を観終わって、原作を読んでみたら、あれってミスリードのつもりだったのかよ!と驚いてしまったのだ。
だから湊作品の精髄を楽しむつもりなら小説だけを読めばいいだろう。
湊 かなえ
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あとこの映画、タイトル画面がないんですが、こういうのってアリなんでしょうか。
まあしかしこの映画には、この映画だけの楽しみというものがある。
いつもの展開でまことに恐縮だが、山本美月は本当にキレイだ。
黒執事劇場版で見せてくれたあの素晴らしい運動神経はここでも健在である。
そしていつも思うことだが声がいい。
ちょっとざらついた感じが「甘え」を感じさせる。
(個人的な感想です)
そして本田翼。
「アオハライド」や「起終点駅〜ターミナル」の彼女がたぶん素なんだと思うが、ここでの狂気の演技は最近の若手には見られない正統派の演技で、それだけに最後の笑顔が実にいい。
二人ともモデル出身ながら、演技派へ花開いた瞬間の記録として、この映画は記憶されて良いのではないだろうか。
MとTに捧ぐ。
了